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4・25 あの日を忘れない 

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2005年4月25日、当時僕は仕事中に聞いていたラジオの中でその出来事を知ることになりました。

尼崎で起きた、JR脱線事故。

列車はこのカーブを曲がりきることが出来ず脱線、右手に建つマンション「エフュージョン尼崎」に、
想定速度時速100Km/hを超えて突っ込みました。

死者107名、負傷者500名を超える大惨事。

宝塚や三田に行く際に利用しているJR福知山線で、まさかあんな大惨事が起きるだなんて、
全くもって想像がつきませんでした。
しかも、僕が生まれてから28年間を過ごしてきた、地元尼崎でこんな事が起きようとは…。
テレビに流れる映像は、僕が普段から慣れ親しんだ、見慣れた風景ばかり。

当時、僕は尼崎から藤井寺に引っ越して約1年が過ぎていました。
その事故から1週間、僕は尼崎に帰り、事故の現場付近に足を運びました。
線路脇とマンションには、目隠しのシートがかぶせられ、目の前には前面が大破した5・6・7両目の電車が、無造作に留置されていました。

立ち入り禁止区域のロープが張ってある場所まで足を運ぶ一般の人々、
僕もそれにつられるように歩いていきます。

「なんでここで、なんで尼崎でこんなことが…」

心の奥からこみ上げてくるものがあり、思わずその場で手を合わせていました。





奪われてしまった107名もの命。

107名以上の家族・友人の悲しみ。

もう戻らない、107名の夢と希望。

多くの人の心についた、深い傷。




この事故をどうして防げなかったのか。

過去に起きた、鉄道事故の教訓がなぜ生かされなかったのか。

そして、個人的な気持ちを上げさせていただけるなら、
なぜ尼崎という街でこんな事故が起きてしまったのか。

事故当時のことを思い出すと、言葉でうまく表現できないもどかしさが込み上げてきます。

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現在は写真のように、当たり前のように列車が走っています。
当時の様子が嘘のように、辺りの住宅地は静けさを取り戻しました。
ただ変わったところと言えば、事故現場にフェンスが張られたことと、
献花台が置かれていること。

当然ですが、JR西日本は福知山線にも新型のATS(自動列車停止装置)を導入し、
安全性を向上させた上での運転再開をしました。
でも、その安全は107名の犠牲があってこその安全であることを、
我々は決して忘れてはなりません。

そして、今でもこの事故で負った心の傷が癒えずに、苦しんでいる人々がいます。
JR西日本には遺族や怪我を負った人々に誠意ある対応を求めるとともに、
我々は心の傷に苦しんでいる人々の気持ちを理解することも忘れてはなりません。

こんな小さなブログで訴えたところで、この声が届くかわかりませんが、
写真が人に物事を訴えかけるものであるのならば、写真を撮り続ける者として、
微力ながらもこうして世の中にこの想いを訴えかけさせて下さい。

もう、二度とあんな悲しい「人災」が起こらないことを願って。

(2006年4月撮影)

撮影地:兵庫県尼崎市

撮影機材:Nikon D200 AF-S DX VR Zoom Nikkor ED18~200mmF3.5-5.6G
[2006/04/25 00:00] 兵庫・尼崎の風景 | TB(0) | CM(5)